
あご便り 4号
長崎県平戸市にある生月島(いきつきしま)は、海と緑の絶景が広がるあごの好漁場。今回はこの地で受け継がれてきた焼きあごの藁編みをご紹介します。
先人の知恵が生んだ味わい深い縁起物
博多の正月に欠かせない縁起物として古くから珍重されてきた「焼きあごの藁編み」。
「有限会社マルイ水産商事」の加工場と鳥山順子さんによる藁編みを見学し、この風習を守る人々の思いに触れた。

赤々と燃える炭火の上を、焼き網に載ったあごがコンベヤーで運ばれていく。生月島にある「有限会社マルイ水産商事」では、昔ながらの串焼きと同じ加減になるよう距離と速度が計算された機械を使い、1日平均800kgものあごを焼き上げる。
まずコトビと呼ばれるだし用のあごを、大・中・小のサイズ別に分ける。同時に、だしに向かない脂肪分の多いものをはじいていく。仕分けしたあごを網にびっしりと並べたら、機械の上に載せて焼いていく。生臭さが残らないよう腹を下にして内臓を焼き、終盤で上からも火を当てて背中を焼く。ある程度しっかりと焦げ目をつけることで香ばしさが生まれ、だしに深みが出る。乾燥機で3日間乾かせば完成だ。
総務部長の末永 三千生さんは「害虫や大気汚染などの問題で、昔のように天日干しはできなくなった」と語る。しかし、機械を導入することで作業効率は格段に上がった。焼き網を使うと串を刺す工程が省け、あごの体が曲がらずに焼けるため見栄えもいい。尻尾が落ちると商品価値が下がるため、ピンと伸びた状態で焼き上げるのも重要だ。炭火焼きの伝統を守りつつ、時代の変化をどう強みに変えていくか。そのバランスをうまく保ちながら、生月島の焼きあごは作られている。

炭火焼き以外にも、大切に守られている伝統がある。焼きあごを藁で編んで束にする「焼きあごの藁編み」は、後世に残したい風習の1つだ。博多の雑煮に欠かせないあごだしの材料であるとともに、その味わい深い見た目から、正月の縁起物として珍重されてきた。生月島から博多への輸送手段として、また、藁が油分と水分を吸うため酸化とカビを防ぐ保存の役割も担う。歴史はかなり古いとされ、ブリや大根を藁で編んで吊るす正月飾りの1種・幸木(さいぎ)からの派生など、そのルーツには諸説ある。
あごの漁獲時期は8月下旬から10月上旬。新米の収穫時期と重なるため、藁編みには地元で刈り取られたばかりの稲藁が使われる。藁打ち機で柔らかくした藁を都度継ぎ足しながら、1匹ずつ丁寧にかつ素早く編んでいく。15匹を対にしたものを1連とし、10連で1束となるが、この1束を作るのにおよそ1時間かかる。朝の8時から夕方の17時近くまで編み続け、手は油分が奪われパサパサになるという。
継ぎ足しが少ないほどきれいに編み上がり、作業効率もいいため、藁はなるべく長い方がいい。機械で収穫すると短く刈り取られてしまうため、藁編み用にわざわざ手で稲を刈る。台風や災害など気候の影響もあるため、毎年安定的に藁を確保するのは決して容易ではない。

高齢化が進み、編み手が少なくなってきた問題もある。編み方を覚えれば誰でもできるものではなく、根気と熟練の技術が必要とされる作業だ。同社でも昔はベテランの編み手に依頼していたが、最近では若い世代に積極的に技法を伝えていこうとしている。今回見事な藁編みを見せてくれた鳥山順子さんもその1人。「何年やってもなかなかうまくならなくて」と恥ずかしそうに微笑む。
先人の豊かな知恵から生まれた美しい風習。黄金色のあごだしには、伝統を守り伝えていく生月島の人々の思いがつまっている。