
あご便り 3号
五島列島北部の新上五島町で代々あご漁を営む畑下さん一家。現在、息子さんが親船を引き継ぎ漁を行っています。今回はあご漁から、焼きあごができるまでをご紹介します。
脈々と受け継がれてきた漁師町のあご食文化を巡る
昔ながらの炭火焼で作る焼きあごが古くから根付いている新上五島町。
この地であごの漁獲から加工・販売までを行う畑下直(すなお)さんの漁に同行した。

新上五島町の秋の風物詩ともいわれるあご漁は、お盆が過ぎ、北からの風が吹き始めたら開始のサイン。一般的に海がしけると漁には出られないものだが、あご漁に重要なのは“風”。波のある時の方が多く獲れるため、その分危険を伴う漁でもある。新上五島町小串郷生まれの畑下直さんは、新魚目漁業協同組合(旧北魚目第一漁業協同組合)の元職員。自身で加工業を営みたいと漁協を退職し、平成16年に「有限会社はたした」を立ち上げた。同社では様々な海産物を取り扱うが、メインとなるあごは畑下さんが漁獲する。

朝6時。まだ薄暗さの残る小串港から、代々あご漁師である父とともに海へと繰り出す。今年は連日の雨で例年より開始が遅れ、取材日の前日からやっと漁へ出られたという。初日よりも波が高い2日目、船はアトラクションのごとく揺れ、油断すると投げ出されそうになる。次々と船酔いでダウンしていく取材班に、「人は横揺れに弱いから、波と一緒に縦に動くといいよ」と、海の男たちが明るく笑いかける。
この地域で行われるのは、2艘の漁船が一定間隔で並びながら1枚の網を曳いてあごを獲る「二艘曳き網漁」。潮の流れが変わる“潮返し”のタイミングであごは潮位とともに上がってくる。船頭はその頃合いを予測し、ピークに当たるよう計算しながら漁を行う。熟練の技とセンスが試される漁法だ。網を入れて走行している間は、キラキラと光を反射させながらあごが飛ぶさまを見ることができる。ピチッと跳ねるようなレベルではなく、一瞬鳥かと見まごうようにすいーっと海面近くを飛んでいく光景は、どこか幻想的でもある。
この日の朝は2度網を投げ入れ、10時前に帰港。待ち受けていた漁協の職員や漁師の妻たちが一斉に水揚げを手伝い、紺碧色の美しいあごが、氷とともに手際よく木箱に詰められていく。おこぼれを狙って集まってきた猫たちも、のどかな港町の風景に色を添える。

水揚げされたばかりのあごは畑下さんの加工場に運ばれ、だし用の焼きあご作りが始まる。生のあごを焼けるのは漁の時期だけ。焼きが甘いと生臭さが残り、焼きすぎると上品な風味が損なわれる。また時間をかけすぎると身が崩れてしまうため、高温で一気に焼くのがコツだ。炭で火を起こしたら、サイズごとに分けて串刺しにしたあごを一斉に焼いていく。パチパチと脂がはぜ、香ばしい匂いが立ち上る。ひっくり返しながら具合を見て、焼き上がるとまた新しい串をのせていく。まだ暑いこの季節は特に厳しい作業だ。焼き上がったあごを5〜6日ほど乾燥させれば完成だが、さらに1〜2週間寝かせることで、だしの味に深みが出るという。「子供の頃はそこらじゅうの家からあごを焼く匂いがしていたんだけどね」と畑下さん。高齢化もあり、焼きあごを作る家庭は今ではかなり減ってしまった。だからこそ、畑下さんは昔ながらの炭火焼にこだわる。
足が早い魚としても知られるあご。保存技術が発達していなかった時代には、その日獲れたあごは全て焼いてしまわなければならず、夜通し焼き続けていたこともあるという。人々の手で丁寧に受け継がれてきた新上五島町のあご食文化。その上品で奥深い味わいに、これからも私たちは魅了され続けるだろう。